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ほく

午後の光

解読 小林盛雄

伊北紀行

​い     ほう

佐々木松夕生誕三百年

(画像クリックで1頁)

「松夕」が絵画だけでなく、俳句にも長けていた事を物語る紀行文です。斉藤清左衛門家の蔵の取り壊し前に立ち合われた小林盛雄氏により発見されました。他家の蔵に保存されていたというのも不思議な話ですが、たぶん村内には俳句を嗜む人が多く存在していて、松夕が複数冊作って配った中の一冊かと思います。

​いほく

内容は近隣の村々に住する旧友を訪ね、俳句を詠みあって楽しむ、そんな内容の小旅行の紀行文です。しかし変体仮名(へんたいがな)で書かれた古文書だけに、現代人にはとても読めません。松夕のご子孫の依頼もあり、書道の先生でもあられる小林氏が解読されています。

天明2年(1782)秋とありますから松夕が61歳の時のものです。松夕の実際の人となりが窺われますし、今から約240年前貧しい寒村の生活の中でも文化的な嗜みのある人が多かった事が分かります。

小林氏は原本に忠実に、くずし仮名(変体仮名)の字母にルビでひら仮名を付けておられますが、今の人でも読みやすいように敢えて字母は外しました。不明な箇所は意訳した部分もあります。

伊北紀行原本.jpg

(画像クリックで拡大)

明治33年(1900年)に「小学校令」が制定され、一つの音に対して一つのひら仮名が決まるまで、ひら仮名にはたくさんの種類がありました。現在、我々が普段使っているひら仮名と異なる形のひら仮名をくずし仮名とか、変体仮名(へんたいがな)と言います。古文書解読はこれが難しいのです。

くずし仮名-2.gif

「変体がな」と字源一覧表

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