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ほく

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【 山塩資料館】やましお しりょうかん

塩沢では明治37年の塩の専売制が行われるまで製塩が行われておりその当時の製塩小屋の構造などを描いた絵が山塩記念館に保管されています。山塩の製造を記述した資料は殆どなく、貴重な資料です。

 

山塩の製造やましおのせいぞう

この地方には、塩沢・大塩・熱塩など「塩」のつく地名が多くみられる。これらには、かつて「山塩」と呼ばれる製塩が関わる場合が多い。塩沢の地名は古く、新編会津風土記に「村中に塩井(しおい)あり村名の起こりし所」と記され、塩の生産地として有名だった。江戸時代は塩井の周り1.8m、深さ約3mで塩焼き小屋が六軒あり、村民が農業のかたわら塩の生産に従事し、他村に売り出していた。松夕が見たのはこの塩釜の煙だったろう。100リットルの塩水から採れるのはわずか数百グラム程度という。でもミネラ分たっぷりの良質の塩だったと思われる。このような山奥では塩はとても貴重品だった。

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【 塩竃神社】しおがまじんじゃ

ここの氏神は、宮城県塩釜市鎮座の塩竃神社の文霊を勧進したものと云われる。社伝によると文政年間で江戸後期の創建です。

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