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謎に満ちたシンガーソングライター。

​何年か音楽活動をした後、突如引退された。

2018年4月に逝去された事を知りました。

『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』は

森田童子の最初で最後のライブ・アルバム。

1978年11月にリリースされました。

カーリーヘアに大きなサングラス。素顔の写真はまったく残っていません。

2分足らずの短い曲ですが、彼女のナイーブで優しい心が覗けるようです。

​切ない気持ちで別れようとしている恋人たちの、情景が目に浮んできます。​

彼女の事は、あまり語りたくない、辛すぎるのです。

四畳半フォークブームの後、突如登場してきたミュージシャンです。

音楽的な価値観においても、ファン層においても、ユーミンの対極にいたシンガーソングライターだったと思います。

 

森田童子の歌詞に出てくる「ぼく」とは、彼女自身の近代の個人で「きみ」とは自身の「自我」なのでは ?  あまりにも詩がナイーブ過ぎてデンジャラス。けれども美しく、素晴らしい、つい聴きこんでしまう
 

カテドラル大聖堂.png

(画像クリックで拡大します)

コンサートの行われた、東京カテドラル大聖堂。
東京大学の音響技師と構造技師の支援を得て、
建築家・丹下健三氏が設計されました。
600席の座席と2,000人分の立ち見スペースがあります。

コーラスと弦楽奏は、武蔵野音大の学生さん達です。


森田童子が作詞家・作家のなかにし礼氏の姪にあたるという

情報ですが、これはかなり信憑性の高い事実と考えられます。
 

この映像は当時のドキュメンタリー番組から再編集し、
この度改めて音声をハイレゾ化した物です。
映像に関しましてはノイズカットを試みました。
再構成再編集しました

その根拠は、なかにし礼氏の死後に出版された遺作『血の歌』(2021年12月、毎日新聞出版)に記載された内容です。この小説の中で、なかにし礼は自身の兄・中西正一の娘として「森谷王子」という人物を描いており、記述や文脈からこれが森田童子を指していることはほぼ明らかです。

 

『血の歌』の表紙には森田童子の写真が使用されており、彼女の生い立ちや家族関係が間接的に示唆されています。
さらに、なかにし礼の自伝的小説『兄弟』(1998年、文藝春秋)でも兄・正一との関係が詳細に描かれており、その家族構成から森田童子が次女にあたることが一致します。

森田童子の本名は「前田美乃生(旧姓:中西美乃生)」とされ中西正一の娘であるという点で符合します。

 

ファンの間でも長年噂されていた説が『血の歌』の刊行で確定した形です。
ただし、なかにし礼が生前この関係を公に語らなかったことや
森田童子自身が私生活を徹底して明かさなかったことから、公式な「発表」としてではなく、遺稿や間接的な証拠から判明した事実として扱われています。

 

『血の歌』は小説形式であり、完全にノンフィクションとは言えないものの、なかにし礼の息子である中西康夫氏(音楽プロデューサー)があとがきで「父の兄とその子である『謎の歌手』との関係を描いた作品」と認めているため、信憑性は非常に高いと言えるでしょう。


 

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